「中立」はけして「真ん中」ではない
■「中立」は人の2倍モチベーションが必要
先日インターネッツをクローリングしていたところ、こんなような記述を見かけました。
私は中立というのは、二項間で争いが生じている場合に、「どちらの立場でもない別の道」を指し示し、実践することだと思ってます。最悪両方から攻撃される危険があるし、その場合敵対するものを力でねじ伏せる覚悟が必要だと思います。
そしてこんなことも
自分の友達が喧嘩していて、それを止めに入らないのは中立とは呼ばない、ってことです。それこそ「はじめの一歩」の審判のように、体を張って止めに行かなければいけない時だってあると思うんです。
うーん、おおむね同意ダナー。
何か議論を外から見てて「おれは俯瞰的に見てどっちも馬鹿だと思うよ」とかスカしちゃってる人って全く意味ありません。
ましてや「中立」とかそんなもんじゃない、それってただの「無責任」ってやつ。
もっと踏み込んで考えて、知恵をこらして、彼らと同じ温度で「中立」を貫くには、2人分の主張を受け止めることが必要です。
だから、人の2倍の知恵が少なくとも要求されるだろうし、知識も勿論両方の立場にたったものが必要。
そのためには人の2倍モチベーションが必要だし、人の2倍強い想いが必要。
あくまで「中立」をやるんだったらね、必要だらけ。
「放置」はけっして「中立」とは違う、なにも生まない。
まずはそれが言いたかった。この1年「中立」について深く考え、ゆらゆらと揺れているぼくだから。
■攻撃された時点でアウトでしょうね
まあ、前述の引用文の中、「力でねじ伏せる」っていうのは趣味じゃないですけど。
そもそも攻撃されないことが必要ですよね。
あの、理想論とかじゃなくて、実践的にね。
なにごとも想いを実現するためには対立や攻撃なんてないのがベストですよね。
攻撃されるだけのスキを与えるのなら、まだまだその主張を受け止めきれてません。
実際に攻撃されたら、多寡はあれどこちらにも「損失」が生じるわけですから。
リスクマネジメントの観点からしても、あまりにお粗末な方法ですね、攻撃されるなんて。
仲裁するにあたっては攻撃されることなく、双方にとって納得のいく解答を導くこと。
それがベストでしょう、疑う余地もなく。
で、それを逃げ腰じゃなく、本気で行うこと。
リスクマネジメントとは逃げ道を用意しておく以上に、リスクを潰しながら最短の道(クリティカルパス)を踏んでいくことだと思います。
それにはやっぱり綿密なシミュレーションができる思考力とか、そのシミュレーションを行いうるだけの知識量とか、例外にも臨機応変に対応できる状況把握力とか、どんなことがあっても笑顔を崩さないメンタルタフネスとか、状況に応じて表情が使い分けられる演技力とか・・・
色々な能力が総合的に必要になるわけですよね。
「非対立」による「中立」はこんなにも人間の能力を求められるのか。
いばらの道ダナー。
■そもそも公平な情報・データなんて存在しない
そういえばどんなことを話し合ううえでも、高水準の教育を受けている人に限って「ソース(確からしい情報源)は?」と言います。
普段の会話の中でいきなり「ソースは?」なんて言われても、資料持ち歩いているわけでもなければ、全部暗記しているわけじゃない。
そんなぼくは「ソース・・・?ぼくは自宅ではおたふく焼きそばソースを」とか最低のギャグしか言えまへん。
でも情報源にしても、ソースにしても、切り取り方次第によって意味って全然変わってきますよね。
六ヶ所再処理施設にしても、反対派の出すデータはきちんと学者さんの出してるやつだし、日本原燃のデータだって学者さんの出してるやつです。
どっちも「しっかりしたデータ」に違いないわけです。
つまり、
・どのような意図をもって調査するか
・どのような意図をもってデータをまとめるか
・どのような意図をもってデータを分析するか
・どのような意図をもってデータを選択するか
によって、公平でウソを付かないはずのデータだって、イッキに「不公平」で「偏向」したものになる。
「環境問題はなぜウソがまかりとおるのか?」
「環境問題はなぜウソがまかりとおるのか?のウソ」
どっちにしても、正確なデータのもと、理論的にまとめられているんだから、どっちもある意味「ホント」なんです。
脱線しちゃったけど、何が言いたいかっていうと情報やソースには「ウソ」も「ホント」もないし、したがって公平なデータなんてのも存在しないってこと。
■よく食べて、よく噛んで。
食べ物はより手をかけて作られたものを食べると身体にいい。
それを素材のうまみを殺さず調理し、よく噛んで食べる。
そしたら消化不良もおこさず、健康的な便だって出る。
これを変換すると。
情報はより綿密に調べられたものを取り入れるといい。
それを歪めた解釈をせずに受け止め、よく考えながら取り入れる。
そしたら短絡的思考もおこさず、建設的な言論ができる。
そんな感じだと思うんです、よく知るっていうことは。
■閑話休題、そろそろ結論をば
「世界平和」なんて絵空事ですか?
ところがどすこい、残念ながらぼくはそうは思ってません。
本気の「中立」な人が増えれば世界平和なんて楽勝だろって思ってます。
戦争は国と国との対立。
でもその国2つ分くらいの中立な人たちが一斉に知恵と知識を総動員すれば、戦争は止まる。
そして、本気で中立な人たちが大多数になったら、戦争自体がなんと非効率で不経済な手段なのかと気付くわけです。
すると、戦争自体起こらない。
ぼくは本気の「中立」を目指して、自分に立ち向かっていきます。
そして、その「中立」な人を増やすことをやめません。
結論:無責任な「中立」なんてやめて、本気の「中立」をしようぜ!