怒涛の1月、エランヴィタってるよな、まじパねぇ

まずは本エントリーのタイトルの説明からしなければなりませんね。


■怒涛の1月


1月に入ってから、ほんとにいろんなことが動き出してます。

まあ自分がそれだけ動いてるっていうのもあるのかもしれませんが、それにしても何か大きな追い風を感じてます。


 自分が動く⇒それをフォローするような都合のいいことが起こる⇒うまくいくから動き続けられる


このスパイラルがいろんなところで発生してて、むしろぼくのキャパを超えるような気すらしています。

でも、それすらも楽しんでいけるような、それでいてクレバーでいるような、そんな気分です。


あれでしょうね、「何のために自分が仕事するのか」がきっと見えてきたからでしょうね。

出口のないトンネルを歩いてたら、一筋の光がさしてくるような、そういう感覚。


2008年、休む暇がないかも。


■エランヴィタってるよな


エランヴィタールってのは、生命の躍動っていう意味です。

いわゆるスピリチュアルで自己啓発が大好きな人たちの用語みたいな感じなんですけど、そのようには使ってません。


生活が自然体で楽しめる感覚っつーか、いきいきしてる感覚っつーか、そんな感じです。


高校の学祭の準備みたいな感じ?まあちょっと違うか。


生きてりゃ、ぼくのようなお気楽人生であっても、もちろんいいことばかりじゃなくて。結構いいこともあったりして。

そんなとき、よくないことに関してははまりこむんじゃなくて自然に受け止める。

受け止めきれないときもあるんだけど、そういうときは「受け止めきれない自分」を受け止める、と。

できないときは「できない、どうしよう、ぼくは無能だ、死にたい」と思うんじゃなくて、「できないネー(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」ってただそれだけです。


■無理ポジちゃん


ぼくね、逆に無理やり(不自然ともいう)なポジティブ思考ってのも好きじゃないんです。

ツイてるとか、超プラス思考とか、逆発想とか、無理やりじゃん、それ・・・ってのが好きくない。


『君はレストランに入ってるときに車のタイヤが全部盗まれたらどう思うかね?』

「帰れない/(^o^)\ツイてないよー」

『僕ならこう考える、車体が残っててツイてる・・・ってね』


とかそういうのがやだ。

むしろ/(^o^)\←こいつの方が考え方としては自然でしょ?

ツイてるとか、ツイてないとか、くだらねえこと言ってないで、どうするか考えれよ真っ先に、と。

つーか、まあ、とりあえず、JAFに電話しろよ、と。


何でもかんでも不自然なまでにポジティブに言おうとして、逆にそれに囚われてる人がいます。

で、周りがサササーっと引いていくのに気づかず、そういう人は相変わらず非現実的な話をしています。


ぼくはそういう無理ポジちゃんを見ては、「あーあ」と思うわけです。


■エランヴィターる人ってどんなんさ


いいことは全力で喜びます。

ただ、それだけ。

ある意味幼児性にも似たように映るけど、微妙に幼児とも違います。

で、純粋とも違う。どっちかっつーと、マーブル模様だと思います。


深く悲しみ、深く絶望し、そこから自分の力で光を見出した人間だけが、エランヴィタれる。

とっても個人的な解釈だから、本来の意味とは違うだろうけれども。


■まじパねぇ


「それはなんと中途半端ではなくすごいことなのでしょう!」

「まじで半端ないことです」

「まじ半端ねぇ」

「まじパねぇ」


すごいんだって、だから。

ラクル起きまくりんぐ。

いわゆる引き寄せの法則っての?

なんか望む方向に話がいくような気がする。

まあ全部が全部ではないんですけどね、もちろん。

でも、なんかそんなものを感じる。



ということで、エントリーのタイトルの説明終わり。