この世に産まれ堕ちた排出権という免罪符


■贖宥状(≒免罪符)の誕生と終焉


かつて、キリスト教が世界を席捲していた頃。
人々は罪の赦しを得るために「痛悔」=犯した罪を猛省し、次に「告白」=罪を司祭に告白して、「償い」=犯した罪に見合った償いをするという三段階を踏んでいました。


その「償い」は非常に重いものでしたが、ある時助長した教会が「我が権威の下、償いを軽減しよう」と言い出しました。これが「贖宥」(免罪)と呼ばれる考え方です。


最初に贖宥の原型ができたのが十字軍遠征後。従軍した者に対し「贖宥」を行い、従軍できなかったものは金品の寄進を行うことによってそれに代えたのです。


次に「ローマへ巡礼すれば贖宥される」と説かれ始めた時、ローマへ巡礼できない者に対し「贖宥状」(≒免罪符)の販売が始まりました。これは当初、フランス等の妨害により巡礼者が難儀することへの救済措置として行われたのですが、その後も、各地で贖宥状は販売されることとなりました。


そしてドイツでとある司教の野望に基づき、大々的に贖宥状の販売が行われ始めました。


とある司教――アルブレヒトは司教のポストを複数獲得するために多額の献金ローマ教皇庁へする必要があり、そのために贖宥状で稼げるだけ稼ごうとしたのです。アルブレヒトは贖宥状販売に際しマニュアルを作成し、テッツェルを始めとした贖宥状促進役(贖宥状の販売代理店)を任命し、自らの販売権を独占しながらどんどん収益を得ました。


一方、後に宗教改革の旗手となったルターは、当初贖宥状自体への反感は持っておらず、むしろ教義に合っていると思っていました。


しかしルターの元へ告白にやってくる信徒たちが、誇らしげに贖宥状を持って「自分はもう償いは必要ないですけどね^^」と言い切るのを見て、疑問を持ち始めたのです。


やがて、ルターは前述の贖宥状販売マニュアルに対して「贖宥の濫用が見られる」として書簡を送り、同時に大学の掲示板へもその文書を張り出しました。


後にこのことが発端となり、さらに幾つかの政治的意図が組み合わさったことで宗教革命が起こることとなりました。そして贖宥状の売買は禁止されるようになったのです。


■CO2排出権という贖宥状


ついにモンスター総合商社(エネルギー事業、輸出入等)の丸紅までもが、CO2排出権に手を出すことになりました。
ロシアの会社と今年にも契約を締結し、京都議定書に基づいて排出権を買い取るそうです。


昨今、その排出権がひとつの免罪符になってきているような気がしています。
現金さえ積めば、罪悪感はなくなる。
Duty free(免税)ならぬ、Guilty Free(免罪)・・・。


環境保護という反論できない圧倒的なキーワードを振りかざし、CO2排出は罪!罪!罪ィッ!!というイメージばかりに注目を誘い、そこに救世主の如くあらわれた「排出権」という免罪符はしたたかに売り抜けられ、購入者は「ああ、オフセットしたから世界は救われる」とありもしない幻想を夢見る・・・そして胴元は高笑いをする。そんな結末が僕にははっきりと見え、とても危機感を感じずにはいられないという心情です。


かつての先人は免罪符の売買が主となるあまり、そこに至る罪への意識や償いなどの気持ちを忘れてしまいました。そして結局「免罪符」が元でルターは宗教革命を起こし、その後免罪符の売買は禁止されることとなりました。


まさにその時の状況と類似しているとぼくは思っています。


「金持ちが贅を尽くして浪費し、同時に甚大な額の金をこの排出権へと投下すればそれで持続可能な社会は実現できるのか?」


誰もがそんなのおかしいとわかるはずなのに、そこの疑問さえも剥ぎ取ってしまうような情報の潮流。経済にとって都合よく作られたストーリーにのせられるだけの日本人。


ぼくはこのシステム自体が悪だとはいいません。切り詰めて、切り詰めて、それでも生活の中でどうしても余分に出てしまったCO2をどうにかしたいが、環境活動しようにも植林しようにも、なにぶん時間もなければ体力もない。身を切られるような想いだが、せめてお金だけでも、環境に役立つように幾らか出したい・・・そんな人がいて然りだとは思います。


その人はその参加の仕方でいいと思います。


でも、その途中がすっとばされて、しかもそれに誰もが気にならなくなるのが危険だと思うのです。


「環境破壊って罪ですよね?絶対に罪ですよね?ハイ、そこで今回ご紹介するのがこちら『CO2排出権』!!これを買えば、あら不思議!あなたの生活におけるCO2排出を一気に帳消しします!!」
と深夜の通販番組のように煽動しているようなイメージなのです。



時代は繰り返すのか、それとも終焉を告げるのか。


現代のアルブレヒトとテッツェル、そしてルターは誰なのか。


ぼくたちはいま一度、昇る階段の先を見極めなければなりません。たとえ高すぎるところまで来てしまい、降りることが難儀だったり恐ろしかったりしても、その先が破滅では悲しすぎますよね。



※今回の記事の参考元
Wikipedia|95ヶ条の論題

Wikipedia|贖宥状

日経プレスリリース|丸紅、ロシアのガスプロム・グループと排出権先渡し購入契約を締結